森 熊五郎日記

2000年12月

■2000/12/30 (土) ** 餅つき **

今日は餅つきをした。 毎年、餅つきは28日か30日としている。29日は苦が付くために縁起を担いでつかない。

 釜でお湯を沸かし、せいろで餅米を蒸す、2時間位蒸しすと軟らかくなる。石臼と杵で餅をつく。 今年は一臼しかつかないとお上が言う、。昔と違い余り餅を食べない。一臼くらいお茶の子さいさい。自分がつく、お上がこねる。

 途中子供がつきたいと言うから交代するが、10回もつけば替わってと言う。お上が、手が熱いと言ってタイムを要求。自分は、顔でこねたらと皮肉を言う。子供は大笑いしているが、・・・・お上はわざと無表情を装う。

 お鏡以外はいつも冷凍している。柔らかい内に冷凍すると、解凍したときに柔らかく、つきたての感じするからである。




■2000/12/30 (土) **有り難う**

 今年、いや20世紀も今日で終わり。

 自分が今日まで幸せだったのも、楽しく生きてこれたのもいろんな人に叱られ、励まされ、助けられたから。

 恋いもし、失恋もし、つらかった事も、楽しい事も ・・・・わがままを聞いてくれて有り難う。

 3日坊主の自分が日記をこんなに長く続けられるとは思っていなかった。自分を表現する事が下手、文章もろくに書けずにいたのに。

 本当に有り難う。また来年もよろしくね。ありがとう。 感謝。 感謝。




■2000/12/29 (金) ** 今日から正月休暇 **

 今日から正月休み。
 朝は霜が多く無風、この様な日は日中は暖かい。朝、布団を干して、シーツを洗う。自分の部屋をいつもより丁寧に掃除。

 ぽかぽかと暖かくとても年末とは思えない、いい天気。水道を井戸水に切り替えて車を洗う。水が暖かく、お湯で洗っている感じがする。

 一年間自分の足となってくれた車に感謝。





■2000/12/28 (木) ** ご用納め **

 今日で御用納め。

お世話になりその後ご無沙汰している某事務所がある。今年中には、挨拶に行かなければと前から思っていた。
 
 行くか、行くまいか、来年にしょうかとか ・・・ 迷っていたら、最後の日になった。

 気持ちは重かったが、この義務を果たさなければ自分の整理が付かない、年を越せないと思い、思い切って行く事にした。

 朝から高速道路を通って熊本へ。午後一番に、事務所のある3階の部屋に。係りの人は午前中で業務が終了したのかほとんどの机は空席になっていた。

 目当ての課長は自分の机の中を整理していた。今年のお礼と、ご無沙汰の非礼をお詫びした。自分が感じていた思いとは違い明るく対応をしていただき安堵する。

 わだかまりの気持ちが消え、今年の業務を終了した。

 帰りは時間があったのでのんびりと、国道57号線阿蘇から別府一宮線を通って帰ることにした。

 一面の景色は、枯れたススキの草原。産山村で横道に入りしばらく車の中で昼寝今年の仕事も終わったし安心感もあり、いい気持ちで1時間も眠っていた。

 遅くなりそのまま自宅に直帰。




■2000/12/26 (火) ** 資料整理 **

明日は朝から大掃除の予定。一年の垢を落としてすっきりとしたい。

 社員もいろんな人がいる、10年以上も前の資料を持っていて、自分の机の回りに置ききれず、近くの席の人は大迷惑、通路を占領していて彼の席まで行くのに苦労する。

 自分が思うのに、何処に何があるのか解ら無いのではと思うと、彼は資料の存在をちゃんと覚えている。これが不思議?である。処分したすぐ後に必要となった事も良くある。これも、またまた不思議?。

 専門誌が毎月10冊以上増える、その雑誌を整理するために、7年前に大金を投じて光ファイリングシステムを導入したけれども、充分に活用されていない。理由は読み取りの精度が悪く、活字がつぶれて見づらいと言う。いずれにしろ、今のままでは書類が増えるばかりである。
 雑誌も電子化される事を希望するが、売り上げが減少するのであろうか?。

 最近は、ファイリング技術も向上し、CD-ROM一枚に一件資料を収納するシステムもある。

 来年当たりからは、電子納品システムが本格的に活用される様である。否応なしに、ファイリングシステムを導入せざるを得ない状況となった。

 事務所も来年はISO-9000シリーズへの取得準備もあるし。資料の整理を本格的に考えたい。




■2000/12/25 (月) ** 今年の仕事も明日まで **

 今日は、朝はょうかりおけち、ちっとうでん、仕事を終わらせにゃち思うち暗えうちかり、かいしぇ行った。

 朝はそげぇ寒ぅなかったんじゃけんど、昼前かり身寒がようなった。風が強ゆぅじ、あっちん、こっちん自転車がひっくり返っちょった。

 得意先んあいやんかり、昼過ぎに電話があっち、頼んじょった、ありゃ、どげぇなっちょるんかのー。ちゅうちきた。

 すまんのぅ、あいやん。もう今年中ん納品は無理じゃ。正月明けまじ、まっちくれんかのぅち頼んじみた。

 しょうがねぇやっちゃのー。。。
 まあ、いいわい。そん替わり来年は、はょう持っち来いよち言われた。正月休みがすぎち、すぐ持つち行くきぃ。ちゅうち、許しちもろうた。

 なんか、づつねぇ。気がおみぃ。

 明後日は大掃除じゃき、今年ん仕事も、明日まじじゃー。

 はえぇもんじゃのー、一年が過ぐるんは。





■2000/12/23 (土) ** むじなとたぬき **

 今んまえ、知り合いん猟師におぅた時、たぬきとむじなは、どげぇ違がうんかえぇち聞いちみた

 そんやたーこげぇ言ぅた。
 むじなはアナグマん一種じゃー。前足ん爪が違うんち。穴を掘るき、モグラんごつ爪が大きぃんち。うんどうは、感心しち聞いちょった。

 今度はの、たぬきん〇玉は、なんじあげぇ大けんもんが付いちょるんか?。。歩くに玉ずれはせんのか?。ち聞ちみた。

 そしたらの。ばかたれ。あげんおおけん〇玉はついちょらん。ありゃ信楽焼きん、たぬきんこっちゃち、ありゃ酒を呑むにの、股いっぱいを、又一杯に引っかけちょんのち。そげんこつか。

 つまらん話じゃった。




■2000/12/22 (金) ** はげらしぃ **

 今日は忘年会とおなごんこん送別会じゃった。幹事は、みんなじ交代じしよる。

 こんだん幹事は、卓球をするんち、うんどうは卓球は久しぶり、トーナメントじ試合したんじゃけんど2開戦じ、じいじいに負けた。

 結局じいじいが優勝したんじゃけんど、くやしい。一通り終っち、じいじい、もぅ一回しゅうや、ちゅうちしたら返り討ちにおぅた。

 くそったれ、もう一回じゃ、ちゅうちしたら、またまた返り討ちにおぅち超くやしい。禿に負けち、はげらしかった。

 そりゅ終えちかり、こんだ、呑みにいったんじゃけんど、禿んやたー焼酎まじ強いぃ。

 今日は。何時もんより、酔うた。眠れんごっある。酔うちょっち、会社んパソじ、こん日記を書きよる。明日も仕事じゃ-。

 ああ、はげらしぃ。





■2000/12/21 (木) ** 管理能力が無ぇ **

 今日は昨日より、ちったぁ身寒がよかった。

 朝ん9時に、馬鹿たれ社員が電話じ、今週はずーと休むち言ぅちきた。うんどおも、頭に血がのぼっち馬鹿たれが、何考えちょるんか、お前ん様んやつはいらん。もうずーと来るなち言ぅたら、ちーった腹ん虫もおさまった。

 巣もつくれんやっちゃー。子供はどげーすんのかゃー。

 あいつんおかげじ、こんだん休みにゃー仕事せにゃならん。ほんじゃけんど、あれんこれん皆わしんせいじゃ

 もうちょっと、初めかり気をつけちょったら、どげぇかなったかもしれんにのぅなさけねぇ。おれん、管理能力が無ぇきのぅ。




■2000/12/19 (火) ** 吉四六の大分弁で日記 **

今日は吉四六の大分弁で日記を書く

 おーいおへま。今日は温くかったのう、もうすぐ正月がくるちゃーとぉてん思えん陽気じゃのー。わしん今日ん日記はのー。さるに負けんごつ。大分弁じゃー。

 今日は昼前かり。野津原ん現場に行ったんじゃー。車ん中じゃ眠とうちー、もうちょいとじ、まえん車につっかかるとこじゃった。ひゃーとしちなー。〇玉が飛び上がるごつあったでー。

 トキハわさだタウンちゅう所は、ふてぇ物がでけちょるのー。まあ、大分もあんくれんもんもあってんいいわぇー。のう、おへま。そんじの。稙田よりちょいと先ん現場に行ったんじゃけん。地図がこんもぅち、すったりじゃった。

 あっちこっちうろうろしちのー。結局わからんままじゃー。もうこうなりゃ、やけんやんぱちじゃー。遊んじゃれち思うち、川ん方に降れたら、あざみと黄ねー野菊が咲いちょったんじゃー。
お、こりゃ、おへまに持ち帰らにゃーち思うち取りよったら。手にとげが刺っちチクチクするんじゃー やおなかったでー。

 そうじゃけんのー、考えちみりゃ、おへまがどきおるかわからんままじゃった。仕方がねえきー。会社んねえねえにやったら喜んじのー。コップにさしよったでー。

 帰りも眠とうち、 道んぐろじちょいと寝ちょった。 今日ん日記は難しいのー、書くにアゴを引っ張り。唇が延びきっちょる。やおねー・・ アゴいだった。
 
解らんわいのー、こん日記は。




■2000/12/18 (月) ** 『無視』 **

先週の半ばから出張やら休日やらで、今日は久しぶりに会社に行く。恒例の朝礼を済まし、先週の作業の成果を確認する。

 本当は今月の初めに終わる予定の作業があった。担当者に確認するとまだ終わっていないと言う。

 先週の初めに客先から催促の電話がり、その時にも、週末には終わりますとの返事であった。しかも何度も延長して ・・・ 再度理由を聞くと。アシスタントの〇〇さんの作業が遅いと言いやがる。
 違うだろ。お前の段取りが悪いのを人のせいにするな。と厳しくたしなめる。するとまた別の理由をぶつぶつ。 いつもそうである、理由のすべてを人のせいにするのが気に入らない。

 男だろ。言い訳するな、結果で勝負しろと。それでも何かぶつぶつ。まったく女々しいやつ。

 期待はしていない 『無視』。




■2000/12/17 (日) ** 結婚式のご挨拶 **

今日は結婚式に招待された。
 一ヶ月以上も前から、主賓としての挨拶を頼まれていた。先週から挨拶文を考えてはいたが、中々まとまりがつかない。
 どうも自分の性格は、追い込まれなければ何もできない様になってしまった。いや。そうではない。時間があれば他のことを先にする癖がしみついている。

 本当は自分をぎりぎりまで追い込み。火事場の馬鹿力を一方では期待している所がある。またそれを楽しんでいる・・・いや。楽しんではいない。

 こんな事のくり返しはいけないと何時も思うけど、計画性が全くなし、ジャイアンツの長嶋監督が大好きな訳がここにある。

 ちなみに本日の挨拶文は及第点ぎりぎりかな。 ただし気持ちは通じたはず。反省しています。・・・ やっぱりしていません。




■2000/12/16 (土) ** 『 青春回顧 』 **

 今回の出張で時間があれば、是非行きたい所があった。約25年前に世田谷区の砧と上用賀に住んでいた。
 当時姉は、国立大蔵病院の婦長をしていた、最初はいそうろうをしていたが、自分で生活をする様にと言われ、近くに住む事に、普通のアパートではなく部屋を間借りしていた。

 新宿のホテルから山の手線に乗る。昔の様に、渋谷から成城学園駅前行きのバス行くことにした。
 道玄坂を通り、三軒茶屋から世田谷通りへ、関東中央病院前で降りる。少し渋谷よりに戻って病院の横の道を真っ直ぐに、病院も当時より大きくなり建て替えをしている。
 上用賀6丁目、自分が住んでいたのは何番地だったのだろうかと考えながら、とりあえず真っ直ぐと歩く、このあたりでは?と探す。似ているようだが少し違う。
 閑静な住宅街であるが、当時は畑も多かった。今は住宅のほとんどが近代建築に建て替えられている。

 分からない。道路も少し変わっている。世田谷通りからこんなには遠くはなかったはず。今度は来た道を環八寄りに2つ目の通りを引き返す。住宅が変わっているために、道路の形状の記憶をたどる。

 あった!。
 近くにあったクリーニング屋さん、昔のままの状態で、運送屋さんもある。その角を曲がる。家の建替えはしていないが少し改造されており、普通の住宅になっている。
 自分が借りていたのは2回の南側の部屋。最初は北側だったが、途中で部屋が空いたので南側に換えてもらった。

 昔は外階段から二階に登っていたが、今は取り外されて無い。玄関の表札を見ると2枚ある、1枚は当時の大家さん、もう一枚は別の姓、自分と同じ年の娘さんがいた。今は名前が変わっているが〇〇銀行に勤めていた。家賃と一緒に積み立て預金を持って行った事を思い出し、娘夫婦が同居しているのかな?。とかを想像した。

 表札は当時の名前のままだから、大工さんをしていたおやじさんは、死んだ親父とほぼ同じ年くらい、おそらく80才を超える高齢のはず、窓越しに見える洋服が地味である、おばあちゃん用に見えるが ・・・
 おばあちゃんは元気だろうか?。

 何度か通りを行ったり来たり、まるでストーカーみたいに。結局玄関のチャイムは押せなかった。

 今、日記を書きながら後悔している。会いたかったと。記憶は氷が溶けるように一気によみがえる。
 借りていた部屋の北側には、当時ある業界では有名な人の大きな邸宅があった。良く休日に、若い奥さんが庭の芝生でゴルフの練習をしていたのを、窓越しに眺めていた事を思い出す。その家は今は無く、土地は何軒かの近代住宅に分割されていた。今度は、昔通っていた世田谷通りのバス停の方向に歩く。
 当時同じ時間にバスに乗っていた『気になる娘』の家がこの近くだと思い出す。家は新築されていたが表札は同じ名前だった。

 自分も純情だった、映画の前売り券を2枚買って、デートに誘おうと思い、バス停に向かいながら初めて声をかける。

 映画の券が1枚あります。良かったらどうですか?。と言って渡した事が ・・つい最近の様によみがえる。普通であれば今頃は、当時の自分と同じ年位の子供がいるはず ・・・

 昼になった。よく行っていた食堂は今はラーメン屋さんになっていた。若い夫婦が経営している。ラーメンを注文する、美味しいラーメンだった。

 ラーメン屋さんを出て、砧の緑地公園に向かった。 環状八号線を歩く、この道路は当時完成しておらず交通量も少なかったが、東名のインターが近くにあるため渋滞していた。

 当時よく公園に遊びに行っていた頃に、大家の娘に ・・ ここはゴルフ場だったんよ ・・ と言われた事を思い出す、全面芝だらけの広い公園。靴を脱いで裸足で歩いた事などを ・・・

 今は木々も大きくなり、多目的の公園に整備されている。ベンチに腰を掛ける。人影もまばらで、駒沢大学の学生がクロスカントリーの練習をしている、園路をジョギングしている人もいたり ・・ 若い奥さんが小さい子供を遊ばせている。

カラスが柿の実を食っていたりで・・時間がゆっくりと過ぎる・・・。 今でも都内に、こんなに静かで大きな公園があるとは信じられない感じがする。

 大蔵運動公園側に出て、再び世田谷通りに、秋葉原に行こうと思いバスをやめて地下鉄で行く事にした。当時は地下鉄は無かった。乗り場までは結構遠く15分位かかったが、テクテクと歩く。 10年くらい前、全国のあちこちで作られたコミュニティ道路を通りながら。

 空港のロビーで世田谷のボロ市のニュースを見る、バスの中から見た人だかりがそうだったのかと ・・・

 歩き過ぎて足に豆が出来た。・なつかしい・・・・『青春回顧』の一日であった。




■2000/12/12 (火) ) ** 楽しみ **

今日は、昨日ほど風は強くないが寒い一日だった。

 今年も残りわずか、2週間もすれば御用納め。年を重ねる度に月日の過ぎるのが早くなる。

 二度と来ない貴重な時間なのに、そんなに急がなくたって、もっとゆっくりと過ぎて欲しい。

 午前中は、明日からの出張に備えて留守中の作業を手配する。日曜日は結婚式に招待され挨拶を頼まれている。月並みでも悪いし、あまり現実の話も冷めて悪いし、
人並み外れるのはもっと悪いし、 うんんん・・・ 前日にならんと頭が働かん。

 それより東京の友達と会えるのが楽しみ。どんな話をしょうかな?。



■2000/12/11 (月) ** 何もない普通の一日 **

 今日は昨日と一転して北風が吹く寒い1日だった。

 午前中に、某事務所でうち合わせ。午後から現場調査、風が強く寒いため後日ゆっくり調査する事にして、早々に切り上げる。

 現場から直帰、帰る途中、東の空に久しぶりに見る満月。

 自己中のお上はまだお帰りでないために、今夜は自分が太郎の散歩。例のところから玄関の鍵を取り出し家に入り電気をつけて ・・・・
 自分で風呂にお湯を張り、ミニステッパーを30分、風呂から上がるとお上が帰宅。

 飯を食って自分の部屋へ。ごく普通の平凡な一日。




■2000/12/09 (土) ** アーちゃんが死んだ **

昨夜12時30分にアーちゃんが死んだ。
 16才と6ヶ月 犬の生涯としてはやや永い方かもしれない。10日ほど前から一晩中鳴いていた。視力、聴力、体力が弱まり、ここ2ヶ月は散歩が出来ない状態となっていた。
 可哀想だけれど、どうしょうもない、子供の成長と共に家族全員に愛され幸せな生涯だったと自分は思っている。

 朝、裏の畑の隅に穴を掘って家族の写真と一緒に埋葬する。楽しかった思い出・・・・
 おりがとうアーちゃん。涙が出る。・・・・・・ 
 
 気分転換に散髪に行って・・トレーニングに行って・・・ゴルフの打ちっ放しに行こう。




■2000/12/07 (木) ** 今夜は完徹 **

今日は久しぶりに早く帰宅した。
 夕食後、ミニステッパーによるトレーニング、風呂に入りのんびりテレビでもと思っていたら、会社から電話。

 客先から明日までに急ぎの資料を作成して欲しいとの事。24時に自宅を出て会社へ。

 会社のパソから日記。資料は朝までには何とかなりそう。

 今夜は完徹。



■2000/12/06 (水) ) ** 久しぶりの東京出張 **

今朝、突然に東京出張が決まった。来週の半ばから2泊3日。

 この夏、家族で東京には行ったけど、仕事での出張は久しぶり、来週になると仕事も一段落するし、丸一日は自由になる時間もある。

 昔の友達にも会いたいし。久しぶりの東京でお上りさん。 どこに行こうかな ・・・・



■2000/12/05 (火) ** 大分久住高原線 **

昨日は日帰りで博多へ。

会議は午後から。車で、大分久住高原線。国道442号を通り、黒川温泉。杖立温泉。松原ダム。日田から高速のルート。

自分はこのルートが一番好きである。特に久住高原の四季の変化は格別である。

県内で一番好きな道路はどこ?。と問われれば、迷わず即、久住高原線と答える。春の萌えるような若草色。 夏は窓を開ければ高原の涼しい風。 秋の紅葉。冬は、久住、阿蘇山の雪化粧。路面に雪さえなければ問題なし。

途中は、平井堅の歌を聴きながら。
    ♪Love Love Love ♪
      ♪袋に詰めても フタで隠しても 会いたい気持ちは減らない
     ドキドキって奴が 僕の胸のドア たたき始めてる
      テレビをつけても 雑誌を見てても 5分に1度は君のこと
       トキメキって奴が 僕の胸の奥 勝手に暴れてる

      今なら遅くはない 理由はどうでもいい
        夢で逢うその前に 声を聞かせて

         Love Love Love 手のひらに
         Love Love Love 感じたら
         今すぐそのぬくもりつたえなきゃ
         Love Love Love あふれ出す
         Love Love Love 受話器から
       聞こえる君の声に 重ねよう この声を・・・・♪ 
    
    会議は5時に終了。帰りは大分まで高速。




■2000/12/05 (火) ) ** 『あいやん』 **

今日は、しし鍋を囲んで自治会役員の忘年会。

仕事の納品を明後日に控えての忙しい合間を見て参加。

来年は自分に事務局の局長職が回ってくる。仕事も忙しいし、うまく運営出来るかが心配、でも1年間皆さんの協力を頂いて頑張るしかない。

今から飲み会が続く。トレーニングセンターにはここ2週間行っていない。体重の管理に少し気を使いながら・・・飲むかな。でも、自宅でテレビを見ながらのミニステッパー運動はほぼ毎日行っている。
最近は運動能力が上がったのか、以前はカウント1500まで35分もかかっていたのに、今では25分で踏む。30分で1800回、体調がいいと1900回までは行けるようになった。

ウエストはやや細くなり、ズボンのベルトに余裕が感じられる。足のひざ小僧の上の筋肉は盛り上がったが、・・・ 股間に手をやる。

 ん!『あいやん』まで細くなっている感じ。こりゃ心配。




■2000/12/03 (日) ** 『自分に正直』について **

未明からの雨も小降りとなり、今はしとしと冬の雨。何時も『自分に正直に』と言う言葉を使う。

昨夜からその事について考えていた。己の都合の良いように。 単なる片意地・・・・

本当にそれで良いのか?。 本当は違うのでは?。自分が望むものとは違う。本当の正直な気持ちはもっと別なはず。気持ちとは裏腹。片意地を張らずに。あせらずに。心を広く。もっとおおらかに。本当に必要なものは何かを考える。




■2000/12/02 (土) ** 厳しさ=優しさ **

自分がこの仕事に就いて約25年になる。
当時の社長には君たちの実力はゼロ、3年間は女性を敵と思って仕事に専念せよ。 と言われた事を今でも忘れていない。

あの頃は若かったし、自分本位でまわりも見えていなかった。 ただ給料が安く、無報酬の残業の多さに不満を持っていた。

姉と同居していたので、生活は出来たけど遊ぶお金などは無かった。 2ヶ月ほどして姉に自分はこんな会社を辞めたい、と言ったことがある。
その時姉は、辞めてどうするの ?、どうして生活をするの ?、と諭された。 自分には返す言葉がない。

それから自分の気持ちを切り替える事にした。 仕事を覚えたらこんなクソ会社辞めてやる。 これからは自分のために仕事を覚えよう。そうすればどんなつらい仕事でも、きつい残業でも、徹夜でも何でも。これは自分のためだからと納得できる。

10年後母親が死亡したために郷里に帰ることになり会社を辞めた。 今、自分も当時の社長の年齢に近くなった、この仕事の大切さを教えてくれた事に大変感謝している。
自分に厳しさを与えてくれて、それが本当の優しさである事を。

最近は会社も物わかりが良すぎるのか、面倒臭いのか、若い社員の自由に任せている。 それに乗じて、好き勝手な事を言い、わがままな若者も許せない。
自分は積極的に苦言を言う様にしている。 会社のためにでは無く、自分のために頑張れと。

それは当時の社長から受けた本当の優しさへの恩返しのためにも。 また将来の本人のためにも。




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